
すき焼き鍋事件から見る、明治のすき焼き肉事情|百年「食」の珍事件簿
すき焼きといえば牛肉!かと思いきや、明治時代のすき焼きは今とは違っていたようで……。本当にあった「食」にまつわる珍事件を、フードアクティビストの松浦達也さんが掘り起こす読み物連載。なぜその珍事件が起きたのか!?時代背景の考察とともにお届けします。
■ひっくり返したカンテ●に入っていた肉は?
日本の食において、長く“ごちそう”の地位に君臨するすき焼き。明治時代初期に「牛鍋」として東京でームとなり、その後大正時代の関東大震災を経て、関西風のすき焼きとミックスされることで現代のような仕様となった。
「火工所近くですき焼き、あわや大惨事」
明治17(1884)年10月16日の夕方、大阪の砲兵工廠の敷地内の芝の上で、近隣の神崎(現・松屋)に住む下山岩松(24歳)、渡辺浅吉(21歳)が、カンテ●にすき焼き鍋をかけ、鶏肉のすき焼きをつまみに楽しく酒を飲んでいたら、いつしか酩酊。うっかりカンテ●をひっくり返し、芝に火が燃え広がってしまった。ふたりではどうにもならず、狼狽しているとに工廠の職員がかけつけ、火を消し止めた。敷地内には、火薬が大量に貯蔵された工廠もあり、すんでのとで大事故を免れたものの両人は巡査に引き渡された。
■「肉といえば牛」の関西でも、すき焼きは鶏肉だった
登場するものすべて、どことなく間が抜けている。軍事施設に忍び込んで宴会をする若者もずいんと呑気だし、夕刻にカンテ●と炭、鶏すきの材料という結構な荷物を持った2人組の潜入をうかうかと許す軍事施設も国防を預かる施設としてゆるすぎる。そんな失火の消火に駆り出される工廠の職員の風情も少々ユーモラス。もっとも今回の主題はそのいずれでもなく「すき焼き」だ。
現代の関西圏は「肉と言えば牛」と言われるほど、生活に牛肉が浸透している。現代でも鶴橋の焼肉、肉吸いや肉うどんなど、西では肉=牛肉というイメージが強いが、上記の失火の原因は「鶏(かしわ)肉の鋤焼」と明記されている。関西では当時どんな「すき焼き」がよく食べられていたのだろうか。
大正後期から昭和初期にかけての全国の食生活を記録した「聞き書」●リーズは1都1道2府43県+アイヌという48冊から成る。●リーズ全冊からすき焼きに関する記述を抜き出してみると、意外なことがわかる。
当時、関西圏の家庭では、牛肉ではなく圧倒的に鶏肉のすき焼きが多かったのだ。すき焼きや、すき焼き様の料理の登場回数を主要肉素材別に整理すると次のようになる(カッ●内は触れられている回数、及び別称)。
ご覧のように、すき焼きの回数第1位は、断然かしわ(鶏肉)だった。滋賀、京都、大阪、奈良など関西圏を中心にのべ30回登場。2位の牛のすき焼●滋賀や兵庫といった“肉ど”では複数回記述されているものの、登場回数は鶏肉より少ない計17回にとどまっている。
https://news..co.jp/articles/0c942c84c1d67420dce6c92bc3555297cfeee448
引用元: ・【正論】すき焼きを割下で食う奴何なの?すき焼きの味付は砂糖と醤油に決まってんだろ! [509689741]
どっちでもいいんですよ。あなたの好みが全てだと思ってはいけません。しょうもない決めうちするなよ顔面の形変わるまで殴るぞお前
関東のは牛鍋だからあれでいい。関東大震災後に関西からすきやきを出す店が進出してきて
一時期人気になったけど、便乗して牛鍋屋が牛鍋をすきやきと言って売り始めたんで、
結局すきやきという名の牛鍋が主流になった。
カンテ●の説明無しに普通にカンテ●という言葉が使われてるけど、カンテ●ってそんなに一般認知されてるものなの?
『大阪の砲兵工廠の敷地内の芝の上で』
朝鮮部落の通称アパッチ砦とよばれていたアソ●かな?
今年は食べに行くかな
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そのインパクトに比べて●レはこれで美味しいし普通に食えるからどっちでもいい派
ヤマサだよね
たらこの産地が道東だけど九州と刷り込むぐらい違う
高級肉割下べちゃしたらそりゃ不味くなるだろ
お前の家だけだろそれw
大阪の金魚の糞は黙ろうや
昔ナイナイの矢部が焼き肉といえばソーセージ焼いたものだと思ってて、本物の焼き肉食べてビックリしたって言ってたけど、お前まさにそれだろ。
悲惨な家庭だったんだな
砂糖とか入れたら甘ったるいやん
味醂と醤油だよ
ぼくは糸こんにゃく担当だよ!
牛肉しか認めないとは言わない、いろんな料理の種類程度の差だ
豚はあんまりやらんね、豚バラはいけるけど牛脂入れたりして結局牛の代わりみたいになっちゃう
でもお前んト● なんでも味噌味じゃん
すき焼きではなく
すき煮だな
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